私たちが送ったパブコメです


第6次男女共同参画基本計画へのパブコメ(意見募集)明日が締切ですね。

声が集まることに意義がある!ので、一言でも、1行でも送りましょう。
超シンプルな書き方の手順はこちら

ご参考に、メンバーが送ったものをご紹介します(団体としてではなく、メンバーが個々に送っています)

--------------------------

①p1,第一部基本的な方針について
「独立行政法人男女共同参画機構法」について、本年6月に参議院内閣委員会において採択された附帯決議の「一」に示された「女子差別撤廃条約にのっとり」とある文言の主旨が実現されるべく、特に以下に示す3点に対応する政策は必須である。
9.女子差別撤廃条約選択議定書の速やかな締結
19.ジェンダー平等政策の具体化に対応し得る独立した公的機関の設置
21.国際連合からたびたび設置勧告を受けながら、長年にわたって積極的に実現に向けた動きが一切見られない「政府から独立した国内人権機関」の速やかな設置
特に9.の「女子差別撤廃条約選択議定書の締結」及び21.の「政府から独立した国内人権機関の設置」は先進国として欠くべからざる条件の重要な部分であり、男女共同参画を謳いながらこの法のどこにも言及のないこと自体が国際基準に遠く及ばない我が国の実態を示しており、この法の大きな欠格点である。
したがって今般成立した独立行政法人男女共同参画機構法を土台とする、第6次男女共同参画計画素案は根本的に欠陥があると言わざるを得ず、いやしくも先進国として提示するには恥ずべきものであるとの自覚を持って見直しを求めたい。

--------------------------

②第2部 I 第2分野 あらゆる分野における政策・方針決定過程への女性の参画拡大
「あらゆる分野における政策方針決定過程への女性の参画拡大」を目指すのであれば、女子差別撤廃条約について、日本の第9回報告に対する国連女性差別撤廃委員会最終報告23a,24a、にどのように応じるのか?が一切示されていない点はこの素案における致命的な不備である。
日本社会において、なぜ女性たちが政治の決定過程に参加することがいつまでも遅々として進まないのか、その点はすでに、イエ制度や家父長制的観点を行政自身が抜け出せない「世帯単位が基本」という一点においても明らかである。
日本社会のあらゆる場面ー学校教育、社会への参加の仕組みの不備と経済的・前時代的大衆倫理観の見えない支配・女性に偏り多く担わされる家庭内労働及び精神的孤立、個人間における性差による力関係に起因する身体的・精神的・社会的暴力と抑圧及びその支配などーこれらからいかに脱却し個人の人権及び尊厳と可能性への公正なアクセスの保証を、国と法が守り育てていくのか、そのような根本的道筋と人権感覚の提示と涵養が欠落している。
上からの一方的で狭い見識にとらわれた「機構による出張講座」「民間施設による代替」ありきのこの機構法には、女性が一個人として自律的・自発的に集い、学び合うことの大きく豊かな「社会教育の場」と「機会の提供」、また女性たちをはじめとするマイノリティへの「安全が確保された公器としての施設の必要性」という視点が完全に失われており、立脚点としての確固たる施設の排除は、国民への公平性という面においても、今後の発展性を損なうものとなっている。
「デジタル化はアナログと併存」が安全性と継続性を担保する上での基本であることは国際的な常識であり、男女共同参画を支えるナショナルセンターという施設の維持を失うことは日本という国の姿勢としてはあまりに短慮と指摘せざるを得ない。
それゆえ、ナショナルセンターとしての現「国立女性教育会館」の施設全体の存続と全国の女性会館施設の存続は、公器としての機構の使命や目的達成にも必須のものであり、男女共同参画の基本概念を具体化する上でも現段階で失ってはならないものである。」

--------------------------

「第2部 I 第6分野 ジェンダーに基づくあらゆる暴力を容認しない社会基盤の形成と被害者支援の充実」「(2) 具体的な取り組み」③④、p. 66
「(2)具体的な取り組み」3、4の教育について、独立行政法人男女参画機構法、参議院内閣委員会で採択された附帯決議中、「一」における男女共同参画政策推進にあたって、「女子差別撤廃条約にのっとり」との文言の主旨に鑑み、国連、女性差別撤廃条約、日本第9回報告書に対する女性差別撤廃委員会、「第9回報告に対する女性差別撤廃委員会最終見解」38c、包括的生教育実施の勧告の内容を明確にするべきではないか。政策の基盤としても、性暴力を社会のあらゆる場から根絶して行くためには、家族関係、友人関係、異性との関係において、他者に対する力の行使、力による他者の支配が倫理的に許されることか、さらには、法的に刑法において許されることなのか、自律的自発的に自ら考える機会を積極的に学校教育の場で整えていくことを明確にするべきではないか。特に、性行動に関する医学的、科学的な知見を具体的に実証的に提供するとともに、個人の尊厳に基づく、<人間の諸権利(human rights)>、<ジェンダーの平等>が、人間関係を形成して行く上で、どのような意味を持つかを、自分自身の課題として考えて行けるようなプログラムを開発して、年齢に応じて、学校教育の場で提供することを明確にするべきではないか。さらにこのような教育は学校教育に限らず、さまざまな年代の成人にも同様な社会教育の場を提供して行くことも、性暴力を根絶していく上で重要な政策ではないか。」

--------------------------

.男女共同参画社会の実現に向けた基盤の整備
9分野 男女共同参画社会の実現に向けた基盤の整備
 官民連携による男女共同参画の推進
(2)具体的な取組
 男女共同参画機構としての取組の推進 
 男女共同参画機構の設立後、同機構は、男女共同参画に関する施策を総合的に行うナショナルセンターとして、男女共同参画を担う人材の確保等に向けた研修や地 域の男女共同参画に関する専門的な調査研究を行うとともに、全国各地の男女共同 参画センター等を強力に支援するセンターオブセンターズとして、男女共同参画セ ンターを拠点とした地域におけるネットワーク形成の支援や男女共同参画センター が行う好事例の収集・提供、個別事業の実施方法に関する助言等に取り組む。 また、「独立行政法人国立女性教育会館の機能強化による男女共同参画の中核的組織の整備に向けて(令和6年7月 30 日)」に基づき、必要な予算及び人員を確保の上、特定の場所や方法にとらわれない多様な事業を展開するため、新法人に必要な機能を本館に集約するとともに、老朽化した宿泊棟、研修棟等を撤去すべく、速やかな関連工事への着手を目指す。

について、「(令和6年7月30日)に基づき、必要な予算及び人員を確保の上、で特定の場所や方法にとらわれない多様な事業を展開するため、新法人に必要な機能を本館に集約するとともに、老朽化した宿泊棟、研修等を撤去すべく、速やかな関連工事への着手を目指す」ではなく、 
〜令和7年付帯決議に基づき、必要な予算及び人員を確保の上、特定の場所や方法にとらわれない多様な事業を展開するため、新法人に必要な機能を本館に集約するとともに、国費を使って改修直後の既存施設を活用すべく県に委託し地元の資産として活用を目指す。」としてください。
そもそも、令和6年7月30日の文章は、国会で審議されず、国会で承認されているものではありません。公文章も残らず口頭伝播を公とゴリ押しするもので、独裁国家ならまだしも民主主義国家とはとても思えぬ権力側が進めてはいけない方法でした。
埼玉県側も「国にご確認をお願いいたします。」と忖度、嵐山町は「宿泊棟・研修棟等が撤去されることは残念であり」と述べているように、戦前の上意下達の現状は見過ごすことはできません。このままでは、住人の寄付や奉仕で成り立った国立女性教育会館の設立意図にも反するもので、国際的にもナショナルセンターの意味を蔑ろにするものです。ひいては女性の地位向上の足を引っ張るものでしかありません。
国税を使って国際的にも通用する国立女性教育会館を建てたことを誇りに、今後も市民が活用できるよう整備の補助を明記してください。

--------------------------

「第2部 I 第2分野 あらゆる分野における政策・方針決定過程への女性の参画拡大」「(2)具体的な取り組み」 p. 22
「政治分野の女性の参画を拡大する課題について、国際連合女性差別撤廃条約、日本の第9回報告に対する国際連合女性差別撤廃委員会の最終報告、23a、24aについての言及がない。選挙による政治参加を促進する具体策について供託金の問題について、障壁となっている事実に基づいて改善策を明らかにするべきである。また、「エ 人材の育成に資する取組」については、いかに女性がみずからの声を上げて、政治に参加していける土壌を醸成して行くかという視点に欠けている。具体的に、家制度から、労働における不当な差別から、さらには、身近な間関係に起るDVはじめ直接間接の力の支配から、女性が解放されることがまずなければならないという基礎前提が明記されていない。民主主義の制度として、学校制度の外で、すべての市民が政治に参加するための障壁を解消する政策の一環として、社会的慣習・制度によって差別されてきたマイノリティとしての女性自身が、政治参加の権利を自覚的に自律的に醸成できる社会教育の場を保障することを政策として明確にする必要があるのではないか。そのためには、女性が自らの社会について、どのようにすれば社会の実態を把握して、現状の社会の具体的事実に基づく政策批判、制度批判の力を養えるか、公民館、男女共同参画センター等、社会教育施設の活用を促進する施策を提示するべきである。具体的にはナショナルセンターとして、なお今なら利用可能な国立女性教育会館の施設を活用して、対面の会議からインフォーマルな意見交換まで、社会教育としての女性の政治参加を推進する集会を積極的に開催して行くべきである。なかでも、女性の政治参加のための具体的なプログラムを開発して、全国津々浦々の地域の男女共同参画センターにおいて地域にふさわしい政治課題について、さまざまな市民とともに、意見交換して、自らの声を上げ、政治に参加していける自信と確信を持てるようにまなびの場がなければならないし、そのためには、そうしたまなびを推進するファシリテーターを育てる政策を示すことが求められる。社会教育施設において、女性が自由に集会をもって、社会変革に対する道筋を、自律的自発的に開拓して行くように、男女共同参画機構は支援する制度、政策を明確にするべきである。これを、既存の政治団体、政党、政治塾やカルトに任せておくのでは、それこそ政治的中立性を欠くことになる。」

--------------------------

「第2部 I 第3分野 女性の所得向上と経済的自立の実現」について、全般に関するパブリックコメント
 「個人の尊厳が守られる社会を形成するための行財政政策として、もちろん現行諸制度を具体的に改善して行くための実効性のある具体性を示すことは重要であることは言うまでもない。その上で、諸具体案を通覧していて気づくことは、<女性><労働者>像の記述方式がこれまでの日本的雇用における雇われる人間としての受け身的労働者像を根本的批判的に再考する視点が見えないことである。別の言い方をすると、働く人間の社会的諸条件を個人尊厳原理に適合するものとしていく上で、現存の労働現場の労働諸条件に労働者自身が適合させていくという雇用契約上弱者の位置に置かれている労働者観から一貫して書かれているように思える。すなわち雇用主の都合に合わせる雇用者像を元に、雇用主の雇用条件を変更したり、雇用者の資質を改善して雇用主に雇用されやすい条件を整えたりする施策案となっていないだろうか(これでは産業転換できない)。もちろん雇用契約上雇用者が、少なからず受動的に構える現状が実態であるにせよ、将来に向けた基本的な構想を示す点で、これまでと同様な雇用者像に基づく労働市場政策の立案で、現状を追認する方式では、世界的、人類史的転換点に立つ状況を克服できるだろうか。少なくとも、例えば企業はだれのものかという根本的批判から考察することを通して、労働当事者は、雇用主ではないにしても、雇用主的視点にも置換し得る資質をも労働条件に組み入れ、協働的に労働現場を創成して行く企業活動協働主体として記述して行く新しい記述方法を開拓して行くべきではないか。その際、<女性>としての<個人の尊厳>が守られる労働諸条件としては、受動的な労働者像ではなく、産業構造の転換も含む、労働政策全体、労働法による労働者の権利の習熟を含め、労働の総体を学習し改善に関与する主体として記述するべきではないか。例えば単なる産業構造に受動的に自らを適合させる技術習得主体と記述するままでよいのか。そうではなく、世界経済的連関の中で、世界の関連労働現場における同じ労働者のすべての尊厳が保障されるようなそのような労働条件を、当該契約労働そのものにおいても関与して行く協働的主体像として、従って、当然のことながら租税国家における行財政政策にも主権者として積極的に関与して行く政治的主体として、個人の尊厳を社会で実現して行く当事者として記述して行く方法を開拓して行くべきではないか。」

--------------------------

第2部 II 第9分野 地域における男女共同参画の状況に応じた取組の推進、項目、3、p. 97に関するパブリックコメント
「言及されている「独立行政法人国立女性教育会館の機能強化による男女共同参画の中核的組 織の整備に向けて(令和6年7月30日 )」について、その発出の基になる2024年7月30日、国と地方自治体、埼玉県、嵐山町との「合意」は正当と言えるか疑義がある。地元首長が「本意」とし得ない点で、地方自治を軽視するものである。さらに、これにより、国立女性教育会館の研修棟、宿泊棟、体育施設を取り壊すことを方向づけたことは、利用者、地元住民含め当事者主権を蔑ろにするものでもある。この官制「合意」のおおもとは、さかのぼるところ、前年2023年11月29日、地元自治体に伝達された全面移転にある。2024年7月30日「合意」も2023年11月29日「伝達」も行政裁量において行われ、当事者市民にその是非が国会審議を通して問われていないし、決定過程も不透明である。このような疑義ある行政決定によって、国立女性教育会館の建物取壊しによって、本来の社会教育権、すなわち、市民の自律的自発的な社会学習の権利が奪われる。これは男女共同参画政策の基本原理である<人間の権利>のさらなる原理としての<人間の個人としての尊厳>を侵害するものである。拠って、この政策は自己矛盾を含んでいる。」